RESEARCH
細胞間シグナルから読み解く植物の生存戦略
――分子からしくみへ遡る――
生物学では,まず特定の明確な生命現象に注目し,次にこれに関わる鍵分子群の同定を進めて,最終的にメカニズムを説明するのが一般的な方法論です.しかし,まず最初に特定の分子に着目し,その機能解析を経て,最終的に新たなしくみや現象の発見を目指したら,どのようなバイオロジーが生まれるでしょうか.これまでに,私たちは植物における既知のペプチドホルモンに見出される配列の規則性に着目し,ゲノム情報と生化学的解析を融合させた手法で,植物の成長や環境応答に関わる複数の新しいペプチドホルモンやその受容体を見つけてきました.「一部の根が窒素欠乏を感知すると葉にホルモンを送り,これを受容した葉は別のホルモンを根に送って,まだ根圏に窒素が残されている根に相補的な窒素吸収の促進を指示する」ことなど,これまで知られていなかった予想外のしくみが次々と明らかになっています.
タンパク質やペプチドの翻訳後修飾も,分子からしくみへ遡るための重要な手がかりを与えます.一般的に翻訳後修飾はタンパク質の機能に決定的な影響を及ぼすため,修飾酵素の欠損株を観察すると,翻訳後修飾された分子群の機能の全体像が浮かび上がります.例えば,チロシン硫酸化酵素の欠損株は根が短く,地上部も矮小化しますが,その原因を探ることで,根端分裂組織の活性を制御するホルモンや,ストレス応答を抑制して成長を促進するホルモンの存在が明らかになりました.タンパク質の糖鎖修飾に関わる酵素群の欠損株でも,様々な組織に異常が観察されており,未知の細胞間相互作用の存在を垣間見ることができます.
ホルモンが細胞膜上の受容体に結合すると,タンパク質リン酸化や脱リン酸化を介した細胞内情報伝達系が活性化されます.このリン酸化・脱リン酸化の流れを追跡することにより,細胞の情報処理のメカニズムを知ることができます.また,植物には機能未知のタンパク質リン酸化酵素や脱リン酸化酵素がまだ多数残されていますが,それらの基質探索も新しいしくみの解明につながる魅力的な研究対象です.
植物は動物に比べてシンプルな器官から構成されていて動き回ることもありませんが,これまで想像されていたものよりもはるかにダイナミックに細胞間や組織間のコミュニケーションを行ないながら,変動する自然環境をしたたかに生き抜いていることが明らかになりつつあります.質量分析計を基盤とした独自の微量分析技術と,分子からしくみへ遡るアプローチの突破力を利用して,こうした植物の巧みな生存戦略を読み解いていくのが私たちの目標です.